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-Summer time- 1

「ヤマさん、運転ありがとな」
 地元の工業高校の後輩で、ご近所兼幼馴染みでもあるサカトクから引越しの手伝いの要請があったのは昨夜のことだった。
「せっかくのお休みやのに、どうもありがとうございました」
 なんでもサカトクの親父さんが経営する自動車整備工場の事務所の二階にクラスメイトを間借りさせることになったとかで、紹介された『クシモト』という少年は小柄でとても礼儀正しい子だった。
「なんも、晴れて良かったな」
 そこへクシモトの弟妹たちが寄って来て、兄の袖をツンツンと引く。
「兄ちゃん、兄ちゃん、今日からここに住むん? 探検してきてええ?」
 年子の弟妹たちはどちらもクシモトに似て器量良しだが、小学5年生だという兄の方が快活で人懐こい。引越しの最中は作業をする自分のことを興味深そうに眺めていたが、今は新しい家に興味津々らしく、目をキラキラさせていた。
「ええけど、手ェ繋いでな。工場の中はアカンでな?」
 どうやらクシモトには親がいないらしく、一人でバイトして弟妹たちを養っているらしい。そんな窮状を見かねてサカトクの親父さんが救いの手を差し伸べたに違いない。今から間借りさせるということは、卒業後はここに就職させるのだろう。サカトクの親父さんは昔から情が篤くて地域でも人望があった。
「わかったー!」
 弟妹たちは親がいないことなど微塵も感じさせない明るさで、仲良く手を繋いでパタパタと駆けて行く。その天使のように可愛い後ろ姿を思わず目を細めて見送っていると、なぜかサカトクに足蹴で追い払われた。なんでや。


「お疲れさん。アイスあるで、ヤマくんも上がってってな」
 荷物を運び終えて建屋脇の水道で手を洗っていると、サカトクのお袋さんが母屋から出て来て言う。
「おおきに、おばやん」
 彼女は近所でも有名な美人で、うちの母親とは互いに嫁に来て以来の友人らしい。ちなみにサカトクは母親似だ。
「こっちこそ、いつも野菜をようさん分けて貰て」
 いつも畑で採れた野菜を届けているが、代わりに自動車関係のことはいつも世話になっていて、今日引越しで使った中古の軽トラックもサカトクの親父さんにオークションで見つけて貰ったものである。
「なんも」
 服が汚れているので、玄関ではなく縁側に回る。すると、その途中で上を見上げて突っ立っているクシモト弟を見つけた。
「なんとした?」
 その視線の先を追い掛ければ、今日から彼らの新居となる事務所二階の窓が見える。そして、その内側でなんと、サカトクとクシモトが抱き合っていた。
「わわッ」
 慌てて弟に目隠しし、自分の体で視界を遮る。
「あれはな、そのぉ、そうやのぅて、なんちゅうか……」
 胸中でサカトクを毒づきつつ、しどろもどろに弁解しようとすると、しかしサカトク弟は目隠しされたまま、平気や、と小さく答えた。
「なんとなくわかっとったし……」
「ほ、ほうか……」
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 実は自分もショックだったのだが、ひとまずそれは脇にどける。
「ほなら、母屋行ってアイス食おか?」
 コクと頷く背中を押して中庭に面した濡れ縁に回ったその時、しかし、その足が再びピタと止まった。
「なんとした?」
 どうしたのかと思って再び視線の先を追い掛ければ、サカトクのお袋さんが濡れ縁の縁に腰掛けたクシモト妹の『おさげ』を結わえ直してやっている。
「痛ないか?」
 蕩けそうな顔で問い掛けるのへ、サカトク妹が嬉しそうにニコと笑って頷く。
「女の子はええねえ、可愛くて」
 サカトクには確か年の離れた姉がいた筈だが、早くに嫁に行ってしまったので、小さな女の子が可愛くて仕方ないのだろう。
「ほれ、遠慮しないで上がりない」
 痩せた背中を押して促すと、お袋さんもこちらに気付いて破顔する。
「ささ、早ぅ上がってアイス食べない」
 スイカもあるんよ、と手招きされて、ようやく強張っていた子供の顔に笑みが戻った。



 濡れ縁の縁に並んで腰掛け、隣で美味そうにスイカを頬張っているクシモト弟の横顔を眺めながら、先程の様子を思い浮かべる。自分の兄が男と抱き合っているのを見てショックを受けたのはわかるが、髪を結わえ直して貰っている妹を見て立ち尽くした意味がわからない。そう、あれは確かにショックを受けた顔だった。まあ子供は子供なりにいろいろ考えているのだろうと思いながら兄似の整った横顔を眺めていると、その顔が不意にこちらを向いて利発そうな瞳が自分を映す。
「ヤマさんちって、この近所なん?」
 唐突に尋ねられて、ちょっと狼狽えながらも、おぉ、と答える。三軒先や、と教えると、その瞳が何か考える風にチラと揺れた。
「ふぅん。ほなら、今から遊びに行ってもええ?」
「今からか?」
 ちょっと驚いて問い返すと、形の良い眉がハの字になる。
「アカンか?」
 がっかりしたように問われて、断るのが忍びなくなる。
「別にええけど、これから俺は畑の草むしりやで?」
 夏場の畑は抜いても抜いても雑草が生えてくるので、ちょっとした戦場である。
「畑ッ?」
 途端に、長い睫毛で縁取られたクリッとした大きな目が驚いたように見開かれる。
「何作っとるんッ? 手伝ってもええッ?」
 身を乗り出すようにして問われて、思わず苦笑する。
「ええけど、汚れるで汚れてもええ格好で来ない」
 畑の草むしりなどすぐに飽きてしまうだろうと思いながら言うと、パァッと嬉しそうに破顔した。
「やったあ! 兄ちゃん、行ってもエエやろッ?」
 無邪気にはしゃぐ弟を、奥の座卓でサカトクと並んでスイカを食べていたクシモトが困ったように眉尻を下げて諌める。
「ええけど、迷惑かけたらあかんでな? ヤマさんの言うこと、よく聞いてな?」
「わかっとる!」
 すると、そのやり取りを聞いていたサカトクのお袋さんが、クシモト妹の顔を覗き込みながら言った。
「ほなら、あたしら女の子は夕飯の買い物に行こか?」
 何食べたい、と楽しそうに問うのへ、こちらも嬉しそうに笑みを返しながら、ハンバーグ、と答える。すっかり仲睦まじいその姿に、サカトクもクシモトも、もちろん自分も思わず笑んだ。 


 長靴も麦藁帽子も持っていないと言うので、サカトクのお袋さんから『お古』を借りる。整った顔立ちをしているので、リボンの付いた麦藁帽子と赤い長靴がよく似合った。
「さっきのことなんやけどな」
 二人並んで畑へと向かいながら、隣を俯いて歩く子供に声を掛ける。あれ程はしゃいでいた子供は家を出た途端になぜか無言で、やはり先程のことが尾を引いているのだろうかと考える。
「男同士でびっくりしたやろ思うけど、工業では結構よくあることでな」
 それは本当のことで、うちの高校は昔から女子の数が圧倒的に少ないので毎年何組かはカップルが出来る。自分も、それがサカトクでなければそれほど驚きはしなかっただろう。
「サカトクはええ男やし、半端な気持ちで付きおぅとるわけやないと思うで」
 とは言っても、男女のカップルでもそうなのだが、卒業後には大半が別れてしまうので、この時期の恋愛はきっと『練習』なのだろうと思う。
「わかっとる……」
 必死にフォローしようとすると、ずっと黙り込んでいた子供が沈んだ声音でボソリと答える。
「おっきい兄ちゃんはエエ人や……そんなんはわかっとる」
 どうやらサカトクに問題があるわけではないらしいとわかり、少しだけホッとする。すると、隣を歩く子供が続けた。
「兄ちゃんはオレらのためにずっと苦労してきたんや。その兄ちゃんが幸せになってくれるんやったらオレは相手が男でも構わん。ただ……」
「ただ?」
 可愛い顔して自分のことを『オレ』呼びする子供を見下ろすと、その口元が少しだけ口惜しそうに歪む。
「おっきい兄ちゃんは、オレにとっても『王子様』やったんや……」
「へ……?」
 意味を理解出来ずに阿呆のように問い返すと、白い頬にサッと朱が差して睨み上げられる。
「失恋したゆぅたんや! アホみたいに何度も聞かんと!」
「……ッ」
 さすがに自分の鈍感さに気付き、慌てて小声でスマンと謝る。そうか、兄弟してサカトクが好きやったんか。
「イマドキの小学生はマセとんなぁ……」
 思わず感嘆の言葉を漏らすと、再びジロリと睨まれる。そして、片足を高く上げたかと思うと、次の瞬間足の甲を思いきり強く踏まれた。
「いでッ!」
「バカヤマ! アホヤマ! クソヤマのウンコッ垂れ!」
 小学生らしい幼稚な罵詈雑言に思わず呆れて笑みが漏れる。天使のように可愛い顔で『ウンコ』とか、どんなプレイや。
「悪かったて。あとで花火買ぉたるで、それで機嫌直しない」
 とりあえず子供が好きそうなもので気を惹いてみると、ズンズンと大股で先を歩いていた子供が途端にパッと振り返る。
「花火ッ?」
 嬉しそうなその笑顔が、目が合った途端にパッとバツの悪そうなそれに変わる。
「別にオレが好きなんちゃうで? 妹が好きなんやっ」
 赤い唇を尖らせてわざと不機嫌そうに言う様が可愛くて、ついつい口元がニヤけた。


 日が傾き始めているとは言え、真夏の日中である。作業自体は畝の間を歩きながら目についた雑草を抜くだけなので造作も無いが、二時間もすると全身が汗びっしょりになった。
 すぐに音を上げるだろうと思った子供は存外に元気で、登下校で慣れているのか暑さにも平気な顔で、隣の畝の間を同じように雑草を見つけながら歩いている。しかも、ずっと喋り通しだ。
「ほんでな、校庭の隅に藤棚があるんやけど」
 話題は担任やクラスメイトのことから始まり、今は校庭の花である。
「花が咲いとる時期は蜂が来るで、行ったらアカンて言ぅんや。ヒドいやろ?」
「少し離れた場所から観ても綺麗やろ」
 とりあえず妥協案を提示すると、遠くからじゃ花がよう見えん、と反論される。
「そんなじっくり見て、絵でも描くんか」
 図工の時間に写生の課題でも出たのかと思って問うと、何か言おうとして開いた口がパクと閉じた。
「……兄ちゃんには内緒やで?」
 少しして、思いきったようにソロリと言う。何が秘密なのかと思って視線を向けると、絵のことや、と答えた。
「絵を描いたらアカンのか?」
 意味がわからずに問い返したが、答えの代わりにジロリと睨み返される。
「ヤマやから言ぅたんやからな? 絶対に言ぅたらアカンでな?」
 どうやら呼び捨て確定になってしまったようだが、『自分だけ』と言われて気を良くする。
「わかった。ほなら、そろそろ上がって花火買いに行こか?」
「やったー!」
 途端に怒り顔がパッと無邪気な笑顔に変わる。そして、不意に背後に回ったかと思うと、汗だくのシャツを掴んでグイと引っ張られた。
「ちょお屈んでや」
「?」
 意味がわからないながらも言われたように屈むと、いきなり背中に飛び乗ってくる。
「うおッ?」
 慌てて落とさないように手で支えると、そのまま肩まで這い上がって来て首根っこにしがみ付かれた。
「ええよ。立ってや」
「おぶって帰れってか」
 呆れて言うと、背中の子供が楽しそうに笑う。仕方ないので体を起こすと、途端にワアッと歓声が上がった。
「すっげー高い! 身長何メートルッ?」
 メートルで問われて、思わず笑いながら、俺はウルトラマンか、とツッ込む。
「2メートルにはちょぉ欠けるな」
 ちなみにクシモトの家系は小柄なのか、弟の身長も自分の腹辺りまでしか無い。そんなに眺めがいいかと問うと、全然違うよッ、と興奮した声で答える。
「景色も違うし、風も違う!」
 視線を向ければ、すぐ横に気持ち良さそうに目を細めている小さな横顔があり、真夏の午後の生温い風に柔らかそうな髪がさらりと揺れる。その拍子に甘い香りが鼻腔をくすぐり、凪いでいた心の表面をサワリと撫でた。
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「しっかり掴まっとれよ」
 落ちないように尻に手を当てて背負い直すと、うん、と答えてしがみ付いてくる。
「あんな……」
 不意に耳元で囁かれて、その甘えるような響きに耳の後ろがこそばゆくなった。
「オレ、こんな風に誰かにおぶって貰うの、生まれて初めてや」
「……ほうか」
 両親はいないと聞いているが、幼い頃に死別でもしたのだろうかと考える。
「兄ちゃんはおるけど、妹がおるで……」
 甘えたくても、自分は兄だからとずっと我慢してきたのだろう。偉いやんか、と褒めると、偉くなんかないよ、と答える。
「偉くなんかない……」
 それきり肩に顔を埋めて黙り込んでしまった子供の尻を、手の平でポンポンと優しく叩いてあやす。
「まあ、こんな背中で良ければいつでもおぶぅたるで」
 どう慰めたら良いのかわからずに掛けた言葉に、汗臭い、とボソリと不平を返される。
「あーそーかい」
 思わず苦笑しながらぞんざいに答えると、でも、と言って言葉を継いだ。
「でも、ヤマの匂いは嫌いやない……」
 耳元で聞こえるくぐもった声に、再び凪いでいた心がサワリと揺れる。背中の子供はそれきり無言で、十秒もしないうちに寝息に変わった。



「怖い怖い怖い!」
 驚いたことに、クシモト兄妹は手持ち花火が初めてだった。
「この辺持っとれば大丈夫やから」
 棒の端を持たせるが、妹は怖がって火を点けることが出来ない。仕方ないので火を点けてから渡そうとすると、悲鳴を上げて、少し離れた場所で見ていたサカトクのお袋さんのところまで逃げてしまった。
「おい、妹は花火好きなんとちゃうんか」
 こちらはなんとか花火の先を火に近付けている弟に向かって問うと、目は蝋燭の火に向けたままで、好きやで、と答える。
「見るのは好きなんや。ドーンと空に上がってパーンって花みたいに開くやつ」
「そっちかい」
 さすがに今日は打ち上げ花火は無い。その時、火にかざしていた花火の先から勢いよく火花が噴き出し、弟が慌てたように、うわッ、と叫んでニコニコとこちらを見上げた。
「見てや! 凄い綺麗や!」
「人に向けたらあかんでな」
 足の上も気ぃ付けや、と言うと、瞳をキラキラさせながら、わかっとるッ、と元気よく答える。妹はどうしたかと思って見れば、サカトクのお袋さんに手を添えられて、仲良く一本の花火に火を点けていた。
「ヤマさんにしては気が利いてたな」
 生意気な後輩の言葉に、お前はいつもひと言余計や、と言い返す。
「ありがとうございます」
 クシモトにペコリと頭を下げて礼を言われて、頭を掻きながら、なんも、と答えた。
「家族に子供がおるてエエよね」
 大人だけで花火をやってもイマイチ盛り上がらない。やはり花火は子供の遊びである。
「ほんにねえ」
 火の消えた花火をバケツの水の中に落としながら、サカトクのお袋さんが答える。
「今度はこれにしよか?」
 地面に広げた花火をクシモト妹と仲良く覗き込んでいる姿はまるで本当の親娘のようで、実に微笑ましい。すると、不意に後ろから手を掴まれてグイと引かれた。
「なあなあ、ドラゴンはいつするん?」
 いつの間にか花火を終えたらしい子供に視線を戻し、あれは最後や、と答える。
「手持ちが終わったらしよな」
「わかった!」
 半日一緒にいたせいか、それともひとの背中で寝たせいか、どうやら懐かれたらしい。常に自分の側にいて、何かと話し掛けて来る。自分に意識を向けて欲しい時には手を掴んで来るが、それ以外の時も、気付くとシャツの背中を掴まれている。ノラ猫に懐かれたようで嬉しい反面、無責任なことをしているようで後ろめたくもなる。そう、自分は『部外者』なのだ。
「なあ、今度泊まりに行ってもええ?」
 次の花火に火を点けようとしていた子供が、不意にパッとこちらを振り向いて尋ねる。
「危ないで火から目ぇ離したらアカンで」
「わかっとる!」
 花火の先から炎が噴き出し、色鮮やかな火花がパチパチとはじける。
「なあ、この後行ってもええ?」
「えッ、これからか?」
 明日は学校やからアカンやろ、と言うと、不満そうに唇を尖らせて頬をプッと膨らませる。じゃあ明日、と言われて、同じやろ、とツッ込んだ。
「わかった。ほなら金曜日に来い」
 ほしたら二泊出来るやろ、と言うと、ムクれていた顔が一瞬で笑顔になる。
「ほしたら畑仕事も手伝うな?」
 ウキウキと言われて思わず笑う。畑仕事が好きなのかと問うと、アホやなぁ、と返された。
「ヤマとようけ話せるからやんか」
 予想外の言葉に、一瞬返す言葉に詰まる。
「俺なんかと話したってつまらんやろ。物好きやなぁ」
 なにせ、女の子とデートをしても気の利いたセリフひとつ言えないようなつまらない男である。自嘲気味に言うと、不意に大きな瞳が不安そうに揺れる。
「ヤマはオレとおっても楽しないか?」
 心配そうに問われて、慌てて首を横に振る。
「そんなことない。楽しいで?」
 その証拠に、同じ畑仕事をしていても今日は時間が経つのが早かった。そう言うと、ホッとしたように口元を綻ばせた。
「オレもヤマとおるのは楽しい。好きや」
 好きや、という言葉に再び首の後ろがこそばゆくなる。
「ほうか」
 手を伸ばして子供の頭をポンポンと撫でると、嬉しそうに見上げてニカッと笑う。その屈託の無い笑顔を見下ろしながら、先程から消えないモヤモヤにこっそりと溜息をついた。


「ヤマはどうする。受けてみるか」
 上司の言葉に、デスクから顔を上げる。
「いや、やめておきます」
 上司が手に持っているのは昇任試験のための研修の参加申込用紙で、特に昇進には興味無いので即答した。
 昇進の話が出るのは本来はもう少し年数が経ってからなのだが、数年前から団塊の世代がごっそり抜け始めたので、人事はその穴埋めに苦慮しているらしい。先輩たちは既に受けているので、そろそろ自分の番なのは知っていた。
「お前ならクソが付くほど真面目やし、何ごとにも一生懸命やし、推薦するんやけどなあ」
 俸給も上がるぞ、と言われて、すんません、と頭を下げる。確かに給与が増えるのは嬉しいが、普通に勤めていてもそれなりに貰えるし、年三回の賞与もある。それに、部下に指示するよりも自分で動く方が気が楽なので昇進したくないという気持ちの方が強かった。
 その時、いつもは静かな市役所のフロアが不意にきゃあきゃあと騒がしくなる。何かと思って視線を向ければ、小学生の一群がゾロゾロと入って来たところだった。
「ああ、今年もこの時期が来たか」
 誰かが苦笑混じりに言い、そういえば昨年の今頃も社会見学と称して子供たちにインタビューされたのを思い出す。
「ヤマくん、2番に電話ー。オカマツ商事さんから」
「あ、はい」
 不意に名前を呼ばれて、目の前にある受話器を取る。
「いつもお世話になっとります。ヤマです」
 電話は馴染みの業者さんからで、今月の入札の件だった。
「あ、参加して頂けるんですね。どうもありがとうございます」
 小額の入札は毎月のように行なわれているが、今月はOSの関係でパソコンの買い替えがごっそりあったので額が大きい。
「そうですね。いつものように金曜日の17時までに必要書類をお持ち頂いて……」
 決まり文句である注意事項を説明し、礼を言って受話器を置く。再び顔を上げて窓口を見ると、びっくりしたように目を見開いている男子と目が合った。
「あれ」
 そういえば、社会見学は五年生の授業だったのを思い出す。
「なんや、市役所の班やったんか」
 社会見学の授業は幾班かに別れて病院や工場や福祉施設などにも行くが、市役所を選んでくれたらしい。何でも聞きや、と言いながら歩み寄ると、大きく見開かれていた目が我に返ったようにパチパチと二、三度まばたいた。
「クシモト君の知り合いなん?」
 同じ班の女子に興味津々で問われて、その頬が一瞬で真っ赤になる。
「なんで……スーツ……」
 ハクハクと口だけ動かした後、ようやく切れ切れに言うのへ、思わず笑いながら答えた。
「ああ、職場ではいつもスーツなんや」
 いつもはTシャツに作業ズボンなので、どうやら見慣れない格好に驚いたらしい。これでも一応事務職なので、さすがに作業着というわけにはいかない。夏場なので今は半袖のワイシャツ一枚だが、畏まった場所に行くこともあるので常にロッカーには上着とネクタイも入っている。
「変か?」
 まだ固まったままでいるので、そんなに変だろうかと思いながら問うと、ゆるゆると首を横に振る。そのクシモト弟の後ろから、先程の活発そうな女子が身を乗り出すようにして割り込んで来た。
「あの、インタビューしてもええですか?」
「ええよ、何でも聞いてや」
 いつもは事務的に答えるのだが、今日はクシモト弟がいるので特別サービスの営業用スマイル付きで答える。なのに当の本人は、なぜか一番後ろの方でムゥと唇を尖らせて怒ったような顔をしていた。なんでや。

「反則や……!」
 夏場は毎日定時で上がらせてもらい、暗くなるまで畝の間を歩く。
「市役所におるなんて聞いとらんかった……!」
 目に付いた雑草を抜いて歩くのだが、これを怠るとあっという間に畑は草だらけになる。
「女子にデレデレ鼻の下伸ばしてからに……!」
 不穏な言葉に、今日はずっと自分の後ろを付いて来ている小さな顔を振り返る。
「誰がデレデレや」
 ロリコンの趣味なんか無いで、と答えると、途端にムゥと唇を尖らせて頬を膨らませた。
「デレデレしとったやんか! あんにニヨニヨした顔、オレにはよう向けん!」
「そりゃそうや」
 あれは営業用スマイルや、と付け足すと、ムクれた顔のままでいきなり足を蹴られる。
「いて!」
「ヤマのスケベ! ロリコン! 変態!」
 心なしか悪口がグレードアップしたような気がする。
「スケベはともかく、ロリコンでも変態でもないで」
 とりあえずフォローにもならないようなことを言いながら足元の草を抜こうとすると、今度は屈んだ背中にいきなり飛び乗られた。
「おわッ」
 落とさないように腕を回して支えてやると、両腕でギュウッと首にしがみ付かれる。
「……この背中はオレのやって言ぅた」
 背中に押し付けられたくぐもった声音に、そうやな、と返す。この背中はお前のや、と付け足すと、途端に体から力が抜けてズシッと重くなった。その心地良い重さと温もりに思わず知らず口元が綻ぶ。
「なんや」
 支えた腰の辺りを、赤子をあやすように優しくポンポンと叩く。妬きもち焼いたんかい、という言葉は胸の内だけに留めた。


「まるでベビーシッターやね」
 事務所の戸口で出迎えたサカトクに、背中で眠ってしまった子供を渡す。その言葉通り、あれからクシモト弟はほぼ毎日のように畑に遊びに来ていた。ヤマさんなんかのどこがいいんかねえ、と言われて無神経男を思わず睨む。こいつはお前らがイチャイチャしとるのを見たくないから畑に来とるんやで、と言ってやりたかったが、なんとなく悔しいので心中だけに留めた。
「子供は子供なりにいろいろ考えとるんやから、お前も気ぃ遣ぉたれよ」
 せめて子供の目に入る場所ではイチャつくなと暗に含めたつもりだが、盛りのついたオスには何を言っても無駄だろう。なにせ、隙あらば触れたいし抱き付きたいしキスしたいに違いない。もっと先まで行っているのだろうかと考えて、慌てて脳内の妄想を追い払う。と、そこへ風呂場の戸が開いてパジャマ姿のクシモトが出て来た。
「ヤマさん、いつもすみません」
「なんも」
 いつもはストイックなクシモトの上気した頬と濡れた髪が得も言われぬ色香を放っていて焦る。それはサカトクも同じだったようで、クシモトの姿を見た途端に急にソワソワと落ち着かなくなった。
「ほしたら二階に運ぶで」
「うん、おおきに」
 ふと合わさった二人の視線が一瞬だけ絡むように熱を孕んで解ける。本人たちは無意識なのだろうが、こんなに始終ラブラブでは側にいたくないに違いない。
「ほしたらここ閉めるで、ちゃんと鍵締めてな」
 弟を運ぶサカトクをクシモトまでフワフワと追い掛けて行きそうだったので声を掛けると、慌てて引き返して来て頭を下げる。
「本当にどうもありがとうございました」
 礼を言ってドアを閉めようとしたところで、再び、あの、と言って顔を上げた。
「明日は、その……ほんまにご迷惑じゃありませんか」
 弟が泊まりに来ることを心配しているのだとわかり、なんも、と答える。ちゃんとメシ食わして風呂入れて歯磨きもさせるで、と言って笑うと、風呂上りの上気した頬がたちまち耳まで赤くなった。
「ありがとうございます。ほな、おやすみなさい」
 そして、ペコリと頭を下げたまま照れたようにそそくさとドアを閉める。カチャリと鍵のかかる音と、社名の書かれたガラスドアが暗くなるのを確認しながら、思わずこっちまで赤くなった。
「なんや……もしかしてあいつら、明日が初夜かい」
 やれやれや。



「ヤマ!」
 入札の事後処理で少しだけ帰宅が遅くなる。待ちくたびれているだろうと思いながら自宅敷地内に車を乗り入れると、既に見慣れた姿が玄関前にあった。
「軽トラで出勤しとるんやね」
 ちなみにこの軽トラックは先日の引越しで大活躍した車である。車庫に入れて戻ると、ちょっと意外そうに問われる。公務員の薄給では二台は維持出来ん、と答えると、えー、と意外そうな顔をした。
「でも、クラスの女子らは結婚するなら公務員て言ぅてたで?」
 安定職なんやろ、と言われて思わず苦く笑う。
「農業だけでは食ぅていけんでな」
 我が家も例に漏れず、じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃんの『三ちゃん農業』である。ちなみに、父親は商工会議所に勤めている。
「ふぅん」
 小学生にはピンとこないらしく、小首を傾げて曖昧に答える。その仕草が妙に可愛くて、思わず頭をガシガシと撫でた。
「よし。着替えたら畑行くで」
「うん!」
 最初の頃は畝の間をただ歩いているだけのようなものだったのだが、今はちゃんと雑草を見つけて抜いてくれる。ネコの手よりはマシだろうくらいにしか思っていなかったのだが、そろそろバイト代が要りそうだった。
「今日、ヤマの作ったトマト食べたよ」
「ほうか」
「ナスもキュウリもピーマンも食べた」
「ほうか」
「今日知ったんや。昨日のカレーに入っとった人参も玉ねぎもジャガイモも全部ヤマが作ったもんなんやて」
 昔から世話になっているので、サカトクの家には度々野菜を届けている。
「この畑だけやなくて、あっちに並んどるビニールハウスでもようさん作っとるでな」
「ビニールハウスッ?」
 途端に大きな黒目がちの目が驚いたように見開かれる。
「手間はかかるけんど、きちんと管理すれば計画的に収穫出来るで、収入が安定するんや」
 説明しながら、この理由では全然面白ないな、と思う。誕生日はいつや、と問うと、十二月や、と答えた。
「ほうか。ほな、誕生日ケーキには採れたての真っ赤な苺をようさん載せたるで」
 ビニールハウスの利点は季節を前倒し出来るということである。
「苺も作っとるんッ?」
 途端にパアッと花が咲いたような笑顔になる。
「苺はまだやけど、今日はスイカがあるで」
 この前サカトクんちで食ぅたやろ、と言うと、スイカも大好物なのかハイテンションで万歳した。


「ほれ、先に風呂や」
 畑仕事の後は風呂である。裏口を入ると四坪程の土間があり、そのすぐ脇が風呂場になっている。土間に置かれた籠の中に汚れた服を脱いでポイポイと入れると、突っ立ったままの子供の服もさくさくと脱がせた。
「一緒に入るん?」
「世話が無いやろ?」
 たぶん髪の中まで砂が入ってしまっているので、よく洗ってあげなければならない。それと、耳の中もだ。あれこれ手順を考えながらパンツを脱いで風呂場に入ろうとすると、先に裸になったクシモト弟の視線がギョッとしたように一点で固まった。
「なんでそんなにデカいんッ?」
 まるで信じられないものでも見たかのような声音に、自分も視線を下げて股間を見る。
「別に普通やろ」
 お前の兄ちゃんかてこんなモンやろ、と言うと、激しくブンブンと首を横に振った。
「兄ちゃんのはもっと『ささやか』や! 毛ェだってそんなにモジャモジャ生えとらんし!」
「……、それは絶対に誰にも言ぅたらあかんでな」
 クシモトの尊厳のために忠告すると、わかっとる、と答える。
「それにしてもあり得ん。それって『フニャチン』やよね?」、
 言うなりガシッといきなり掴まれ、こらこらこら、とイエローカードを出す。
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「ふざけとらんと、早く入りない」
 ハンバーグが冷めるで、と言うと、渋々ながらも風呂場に入る。ハンバーグはクシモト弟のリクエストである。しかし、どうにも股間が気になるらしく、体を洗ってやっている間もずっと視線が離れなかった。
「それってボッキするとどのくらいになるん?」
 とりあえず子供を先に洗って湯船に浸からせ、自分の頭を洗っていると、いきなり爆弾を落とされる。
「ええ加減にせえ……て、そんな難しい言葉よう知っとんな」
 ちょっと感心して問うと、胸を張ってエヘンと答える。
「この前、体育の時間に習ぉたんや。先っちょの穴から白いの出るようになったら赤ちゃん作れるんやで?」
「ほ、ほうか……」
 おかしな方向に話が向かってしまい、内心焦る。
「ケンちゃんはもう出た言ぅんやけど、オレは嘘やと思うんさぁ。朝起きたら出てたなんて絶対に嘘やと思わへん?」
 絶対にお漏らしや、という言葉は頭に湯を掛けた音で聞こえなかったフリをする。性教育は何年生から始めたらいいのかという議論を毎年聞くが、五年生で夢精があるのなら早目の方がいいに違いない。そうすれば少なくとも、自分は病気なのではないかと悩む子供が減る。手早く体を洗って自分も湯に浸かろうとすると、あいかわらず他人の股間に視線をロックオンしたままで、なあなあ、と呼ばれた。
「ヤマはもう白いの出た?」
「ええ加減そこから話題を離さんかい……」
 思わず唸るように言い、ザブンと勢いよく湯に浸かる。すると、いきなり手を伸ばしてきて、湯の中でゆらゆら揺れるソレをギュッと掴まれた。
「触ってもええ?」
「もう触っとるやんけ」
 呆れて言うと、いたずらっ子のようにニヒヒと笑う。
「オレ、他人の触るの初めてや」
「どれ」
 お返しに親指くらいのソレを掴んでやると、びっくりしたように目を丸くして腰を揺らす。触られるのも初めてかと問うと、無言でコクンと頷いた。いきなりしおらしくなられてちょっと調子を狂わされていると、手の中のものにいきなり芯が通ってきて焦る。
「反応早過ぎやろ」
 慌ててソレから手を離し、自分の股間からも手を離させようとする。がっちり掴んで離さないので、そろそろヤバいから離せと言うと、ようやく渋々手を離した。しまった、いつの間にか半勃ちや。
「大きぃなった?」
「なっとらん」
「白いの出たら見せてな?」
「頼むで、そこから離れてくれ……」
 何も知らない純粋無垢な瞳で見上げられて、思わず泣きを入れる。
「ええか。ここは神聖な場所なんやから、無闇に人のを触ったり触らせたりしたらアカンでな?」
「知っとる。汚い手ぇで触るとチンコ腫れるんやろ?」
 出た……天使が『チンコ』て、どんなプレイや。
「ほうや。さあさあ、もう出ない。体拭いたるで」
「わかった!」
 湯から上がらせ、タオルで全身の水気をざっと拭いてやる。すっかりピンと上向いてしまった可愛いウィンナーには極力気付かないフリをした。



 母親手製のハンバーグを一緒に平らげ、並んで歯を磨いて自室に戻る。ベッドシーツも枕カバーもタオルケットも取り換えたので、汗臭くは無い筈だった。
「すげー! でかいベッド!」
 キングサイズは初めて見たらしく、部屋に入るなり目を真ん丸にして驚く。以前はセミダブルだったのだが、頭が鴨居に付いた時に買い換えたので、お陰で二人で寝ても余裕があった。
「出荷があるで、明日の朝は四時起きやけど、お前は寝とってええでな」
 冷房を弱め、腹の上にタオルケットを掛けてやりながら言うと、オレも行くッ、とすかさず答える。
「手伝うて言ぅたやろ? オレも絶対に起こしてな?」
 必死な顔が可愛くて、思わず構いたくなる。
「ええけど一回だけやで? 起きんかったらそのまま行くでな?」
「わかった!」
 満面の笑顔で頷き、さっさと目を閉じる。しかし、電気を消して隣に横になると、すぐにゴソゴソと動いて腹に抱き付いて来た。
「抱き付いててもええ?」
「もう抱き付いとるやんか」
 収まりが悪いので、腕枕して抱き寄せる。また汗臭いと文句を言われるかと思ったが、特に何も言わずに満足そうな溜息をついた。
「妹がな……」
 少しして、暗闇の中で小さく言う。
「昨日、おばやんのこと間違ぉて『おかやん』って呼んだんや……」
「ほうか。おばやん喜んだやろ」
「うん……」
 仲睦まじく花火をしていた場面を思い出し、思わず笑む。
「凄く喜んでな……そんで、これからは『おかやん』って呼んでもええよって……」
「ほうか」
 どうやら上手くいっているようで安心する。しかし、すぐに自分の短慮さを後悔した。暗闇の中で息を吸う音がして、再び小さな声が言う。
「母さんがおらんくなったんは、あいつが一年生の時や……」
 蒸発って言うんやて、と言われて、クシモト家の深い場所に踏み込んでしまったことに気付く。
「それまでもおらん方が多かったで、妹はあんまし覚えとらんやろけど……」
 その先の言葉を予測して焦る。
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「オレは妹よりも覚えとるで……」
 しかし、気の利いた言葉は何一つ浮かばなくて。
「簡単に『おかやん』て呼べる妹が羨ましぃて……」
 慌てて両腕で抱き締めたが、言葉は止まらなかった。
「にくらしぃ……」
 くぐもったその一言に、激しく胸中で自分を責める。自分は大人なのに、その一言をこんな小さな子供に言わせてしまった。
「こんな自分はイヤや……」
 泣き方を忘れてしまった子供の頭を、自分の胸元に引き寄せて優しく撫でる。俺は好きや、と暗闇に混ぜて囁くと、クスと笑う気配がした。
「こんな口悪くて生意気でもか?」
 子供らしくない自嘲の言葉に、ほうや、と答える。口悪いとこも生意気なとこも全部好きや、と付け足すと、やっぱりヤマは変態やな、と言って笑った。幾分柔らかくなったその声音に少しだけホッとする。
「もう寝ない」
 明日起きんかったら本気で置いてくで、と言うと、慌てたように寝る体勢になる。疲れていたのかすぐに小さな寝息が聞こえてきたが、天真爛漫に見える子供が胸中に抱えている闇を思い、自分はなかなか寝付けなかった。

続く。。。
2015-09-06
皆様の励ましでオカマツはまた更に頑張れます。
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